2009年度厳冬期遠見尾根往復合宿
山域:北アルプス遠見尾根
参加者:伊佐見(3)、溜島(1)
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12月24日
12:00部室集合〜14:15部室発〜14:30鹿児島中央駅着〜14:45鹿児島中央駅着〜17:00志布志港着〜17:55志布志港着
 部室集合は12時だったが、連絡バスまでの時間に余裕がありのんびりしていたら中央駅に着いた頃にはあまり余裕がなくなっていた。志布志港に着いてすぐに乗船手続きをしてフェリーに乗ると、クリスマスプレゼントを頂いた。お風呂に入り、読書もすることが出来、非常にくつろげた。さんふらわあは今後も使いたいと思う。

12月25日
7:40大阪南埠頭着〜16:50松本駅〜21:50神城駅
 今日は、ほぼ18きっぷを使っての移動だった。乗り換えも多く面倒だったが、だいたい電車に乗ることには慣れてきたと思う。また、電車をホームで待っていると風が強く寒いけれど、電車の車内はとても暖かくて温度差が激しすぎると感じた。しかしそれ以外は、親切なおじさんと話したり、トンネルを出ると一面雪が積もっていてまさに雪国という感じであったりと夏に来た時とはまた違った感動があった。
 松本駅で買い出しをして、神城駅で寝ようとして荷物を出していたらなんとぺミカンが二袋パンパンに膨れ上がり酸っぱくなっていた。仕方なく、その二袋は処分した。(結局、量的には減って丁度よかった)

12月26日
5:06起床〜7:10神城駅発〜7:50エスカルプラザ発〜13:28地蔵の頭トラバース〜15:48エスカルプラザ着〜17:00神城駅〜12:00就寝
 今回の合宿が散々だったと二人とも感じた原因がこの日にもある。
 まず、無料のバスでエスカルプラザに行き、ロッカーに荷物を預けて登り始めるまでは良かった。しかし、少し登ったところでパトロールの方にゴンドラを使ってくださいと言われ下に降りると、乗り場の人が私たちには止める権限はないと言ったのでまたスキー場の端を登った。
 そして、パトロールの方々に迷惑がられながらも地蔵の頭の手前まで来ていざ登り始めると、ものすごい地吹雪で雪が顔に吹き付けて非常に痛かった。一分もしないうちにラッセル跡が消えるくらい風が吹いて耐風姿勢でいるしかなかった。けれども、すぐ下ではスキーヤーたちが楽しそうに滑っていた。
 一旦スキー場の方まで戻り、ワカンを履いてトラバースして地蔵の頭を登ることにした。けれども、ワカンに慣れていない自分にはあまり思うように進めず、風はトラバースしても相変わらず強く吹き付けた。パトロールの方が来て、リフトまで行き、そこからはスノーモービルに乗せられて結局良く分からないままゴンドラに乗せられ、下まで降りてしまった。エスカルプラザでは、これからどうすべきか伊佐見さんは困り果てた様子だった。三穂野先生と連絡を取った後、またバスで神城駅まで戻ることにした。
 もうスキーでもして帰るかなどとも考えたが、久留米大の山岳部も神城駅でビバークしていて、話が盛り上がった。そしてもう一つ出会いがあった。外国人観光客に日本語が話せないので、ホテルに連絡を取って欲しいと頼まれなんとか適当な英語でコミュニケーションをとることが出来、外国人観光客たちは無事にホテルに向かうことが出来た。(自分はもっと英語を勉強するべきだと感じた)

12月27日
5:30起床〜7:10神城駅発〜8:15テレキャビン〜9:45地蔵の頭〜雪上訓練etc
 この日も前日と同じように神城駅を連絡バスでエスカルプラザまで行った。そして、最初からゴンドラに乗り、少しだけスキー場の端を登り、地蔵の頭も自分には恐怖もあったが、前日に比べたら天と地ぐらいの差で断然登りやすかった。
 地蔵の頭では、たくさんの地蔵があって不思議な気持がした。また、どこかでビーコン訓練を行っている声も聞こえた。
 テントを設営して、空身で小遠見山手前まで行った。360度の展望が素晴らしく、自分が地球で暮らしていることをしみじみと実感した。(とても晴れて日の光が雪に反射して非常にまぶしかった。休み明けに授業が始まってから久しぶりに会った人から焼けたねと言われ、やっぱりしっかりと雪山で日焼け止めを塗るべきだということも痛感した)
 テントに戻ってきてからは、雪上訓練をしたり(きつかったが、ワカンを履いての歩行に慣れることが出来た)、埋没訓練をしたり(そこまで深くは埋められなかったが、自分では動けなかったし、エアポケットでの空気が足りなくなるのではと心配でたまらなかったが、すぐに掘り出されはしたけれども、ゾンデ棒でつつかれた時は圧迫感よりもつらくて痛かった。もしも本当に埋まってしまったら、この痛みを感じられることが喜びの瞬間になるのだろうか・・・)、雪洞を掘った(約1時間かけて、天井に穴は空いたり、ササがつき出たりはしていたものの、横穴の奥には二人が充分に入れるドーム型の雪洞が出来た)。
 前日は、神城駅でビバークだったので、この日が最初の雪山の夜だったが、外は月明かりだけでも十分明るくきれいな空を見ることが出来た。そして、キムチ鍋も自分には少々辛かったが、美味しかった。また反対に、夏山とは比べられないほど寒く、トイレや寝るときは2倍も3倍も大変だった。

12月28日
4:45起床〜7:30発〜11:00小遠見山〜12:06中遠見山〜14:25西遠見山‐大遠見間2100m付近
朝食にアルペンマカロニを食べ、前日に空身で行った小遠見山手前くらいまでは樹林帯であったが、尾根上に出たところから風の強さを感じ、昨日の晴れた景色とは打って変わって気を紛らわすようなものではなく、逆に気をもませる様な天気で雪庇をいくつも通る途中、耐風姿勢をとりながら進んだ(声が聞き取りづらかったりして大変だった)。しかし、小遠見山を過ぎてもテントを張れる場所はどこにでもあったので、前日はもう少し進んでいても良かったかもしれない。
 中遠見山付近では、尾根がやせていてまるで一本橋を渡るくらいの緊張感があった(落ちることを考えるだけでも身がすくむ思いがした)。その後は、少し尾根を外れて樹林帯を進んだが、足が何度もすっぽりはまってしまい抜けだすのにとても苦労した。休憩で食べたカステラはレーズンと相性が好くなかなか美味しかったが、風が強いせいで寒さに震えながら食べた。
 樹林帯を登りきって少し行った先でこの日はテントを張った。天気図は自分だけが描いたが、きたなくて伊佐見さんに怒られてしまった(もっと上手く描けるようになりたいと思う)。けれども、明日は天気が悪くなるだろうと考えてあまり早く起きないことにした(小日の夜は、風がものすごく強烈に吹き荒れてテントが飛ばされないかが心配され、祈りつつ寝た)。

12月29日
6:46起床〜9:30発〜10:50西遠見山〜13:56テントを持ってくる
この日は、とても後悔することになってしまった。朝ゆっくり起きてみると、前日よりも天気が良くなっていた。ショックだった。
 それでも、遅い出発ながらも西遠見山の先のコルまで竹旗を立てながらアタック装備で行ってみた。そして、少し戻ったところにテン場の跡があったのでそこを使うことにした(伊佐見さんはテントを回収し、自分はテン場を拡げ地面を平らにした。雪の中には、意外と多くのゴミがあって少し複雑な気持ちだった)。
 この日の夕食のカレーうどんも片栗粉を入れてとろみをつけるつもりだったのだが、粉っぽくなってしまい微妙な味だった(まだ、レーションに入れていた菓子パンの方が美味しかった気がする。ポテトサラダは、やっぱり自分には辛かったカレーうどんに丁度好かった)。
その後、就寝する前に30分くらいこの日までの反省をした。最初に、ゴンドラで降ろされてしまったことや天候判断が出来ていなかったこと、絶対的に足りなかった自分の体力と根性、経験不足など・・・有意義に振り返ることが出来た。

12月30日
2:56起床〜4:30発〜6:17白岳〜五竜山荘6:45〜西遠見山8:15〜テント撤収&出発9:10〜小遠見山10:50〜アルプス360 12:00〜テレキャビンで下山
この日は、前日と違いしっかり早く起きて頂上をとる勢いで出発した。ヘッデン行動で白岳の登りを登りきった時は最高に感動してうれしさで胸がいっぱいになった(街の明かりもきれいで、テルモスの紅茶も身体にしみわたる様で美味しかった)。
 この後、五竜山荘を往復して(朝日も眺め、しっかりと記念撮影と三穂野先生への連絡もした)、下山した。白岳の下りは、思っていたよりも大変で時間もかかってしまった。途中、アイゼンで登ってくるパーティや中高年のパーティなど登りの時よりも多くの人に出会った(小遠見山で明日は天気が崩れるのに泊まるというパーティもいた)。
 一之背髪を過ぎて樹林帯に入る手前では、30分くらい帰りはどうするかなど話しながらゆっくり休憩もした。しかし、最後の最後まで散々だった合宿でもトリを飾ったのが、ゴンドラの建物の前でワカンを脱いだ後入ろうとした所で伊佐見さんが滑りお尻を強く打ちつけてしまった。自分も大丈夫ですかと言いつつも、本当に滑りやすいなあと思い、慎重に歩いていたのに同じように滑りこの合宿で一番痛い思い出となった(最悪であった・・・)。
 また、ゴンドラのチケット売り場の人に「天気が悪くなるって知っていましたよね。」と言われ、だから降りて来たんだけれどと思いながら4人の家族連れのスキーヤーと一緒にゴンドラで降りた(姉と弟で見ていると自分の兄弟が思い出された)。
 エスカルプラザでロッカーに預けていた荷物を取って、神城駅まで戻ると下山報告を済ませ温泉に行くことにしたが、その目的の温泉が見つからず道の駅の人に聞いた一駅先の温泉に行くことになり、終わってからも散々であった。けれども、神城駅近くの食堂で夕食を食べたが、そこは最高であった(伊佐見さんはソースかつ丼の大盛りを注文し、ずっと美味いと言っていた。自分はおでんを食べたが、これもまた温かく身体が欲していた味であった)。

12月31日
7:55神城駅発〜15:40大阪駅解散
 朝食に持って来ていたそばを食べ(自分は間に合わなかったので電車で半分食べた。大晦日ではあったがずいぶん早い年越しそばだった)、神城駅を後にする。
 その後、行きと同じ経路で大阪まで電車に18きっぷで行った(途中人が多すぎて乗れなくて次の電車に乗ったりもした)。

伊佐見
反省
・二つ玉低気圧はやっぱり風が強かった。恐ろしかった。地蔵の頭であれほどにまで凄まじい風が定常的に吹くとは思ってもいなかった。やっぱり二つ玉低気圧で登ってはいけません。
・そのため26日はパトロールの方に助けてもらう形になった。全然歩けなくなった溜島は肩を貸してもらい、空身でリフトまで行き、スノーモービルでアルプス360まで下った。パトロールの方には大変お世話になった。
・スキー場は歩いてはいけない、絶対!もはや登山者は完全に嫌われている。テレキャビンを使わず遠見尾根を行く場合は青木湖付近から天狗岳を経由し、小遠見に行くのがよいと思われる。
・溜島が寒そうにしていた。おそらく大量に汗をかくためだと思われる。
・下界の週間天気予報を気にし過ぎた。天気図やラジオでの天気で判断すれば、うまく晴れ間をつくことができたと思う。
・しかしながら白岳の雪崩が怖くて進めなかったのも一因だ。本で「降雪後1日は晴れていても雪崩の危険があるので行動しないほうがいい」と書いてあったはず。うーん
・どちらにせよ今回の歩行ペースは五竜岳まで行けるスピードでは無かったのが言い訳というか、救い?だった。そういう点では溜島と僕の実力を出し切ることはできたと思っている。言い換えれば、そもそも実力不足ではあった。僕らに山頂を取る実力は無かった。溜島は体力・精神力が全く足りておらず、それによって全く楽しむことができず、二者の負の相乗効果でどんどんとひどい有様になった。なんというか無残であった。僕には判断力やその自信が足らず、やはり経験不足と言わざるを得ない。はっきり言って、進んでいいのか、休んでいいのかよく分からなかったので、とりあえず今日はもうテントを張ろうか、というスタンスになってしまった。
・行く前に「絶対に無理はしないで」「山頂は取らなくてもいいから」ということをよく言われたが、それによって行く前から山頂を取るつもりがなかった気がする。こんなことを言われるのは実力を不安視されていることもあるが、そもそも登山者は頂上を取るつもりで入山するのであり、最初からこのような姿勢で入山するのはおかしいと思った。
・実力以上の山を選んでしまったのは、まずいったい自分たちがどれほどの実力なのかよく分かっていないことによると思う。在学中に雪山を1〜3年の6回しか行かないという現在の活動状況であるのだから、今後は頂上を取れる規模の低い雪山を毎年登ればいい。
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感想
 登山というものはどれだけ力がなくても少しずつ上に行けるものなのに、今回は1日目に登った分をテレキャビンで下りてもとの神城駅で寝てしまった。もう一度登り返すなんて馬鹿馬鹿しかった。正直、帰ってやろうかと思った。
 二つ玉低気圧の凄まじさで地蔵の頭にさえたどり着けず、半ば強制的に下され、ラッセルを手伝う約束をした久留米大山岳部には鼻っから追いつけず、寝坊で晴れ間を逃した。帰りには大声で溜島に怒号を上げているところを他登山者に見られ、さらに溜島が「可哀そうな一年生の様子」を見せつけ、僕は悪者になった。下山後のテレキャビンではパトロールの人に「あなた達は風を呼びますね」と言われたので何故か謝り、入口の氷で二人仲良くすっ転び、切符売り場のおっさんにまで「こんな天気になることも分からんのか」みたいなニュアンスの事を言われ(分かってるから下りてきたんだろ!と言い放ってしまった)、下山後の楽しみであった温泉は潰れていた。
 散々であった。
 それでも救いであったのはおいしい食堂を見つけたことだった。精神的にほんとに助かった。今回もまたいい経験になった。
 追記:某山岳雑誌の雪山特集の女性登山者のなんとカワイイことか。それに比べ、うちの溜島はカクネ谷に向かう平家の落ち武者のようだと言っても過言ではない。山行中、後ろを振り返っても恐ろしい形相で歯を食いしばり、助けを乞う様子しか見なかった。
 でも溜島のように「もう登りたくない」と思える山行こそ、思い出も反省材料も経験値も多く最高なのであり、真逆のようだが上昇志向的だろう。「もっと登りた〜い」と余力のある山行で何の成長があるのか、あとで他人に話をするときに何を話すんだ?総じて「楽しかった」の一言だろう。下山後の飯も「やっぱり下山後のご飯はおいしいね」で済んでしまうだろう。下山後の飯はやっぱり「うめぇ。死ぬほどうめぇ」と言い、昇天するのがベストである。
 ただし「もっと・・・」のほうが「憧れ」が大きいのもまた事実だというのが何とも辛い。実際、鹿大でも山岳部以外のほうがやる気がある。部以外から「〜したい」と言われるのはいつも耳が痛い。
 僕が山岳部にいた期間は自分のやりたいことを前面に押し出し、他人の憧れを奪ってしまったように思われる。良くなかった。これからは奪う方面を山岳部内に求めないようにするつもりだ。そして1年生は今までの思い出を土台に、身近なOBの思い出から憧れを持ち、OBなどの憧れを奪って欲しい(岩登りなら湧き出るほど憧れのある人が結構いる)。
 なんだか思い出と憧れの哲学?が分からんでもないような気がしてきた。長くなるな。めんどくさい。やーめた。
 まぁ本末転倒ですが、カワイイ女の子にはかなわないでしょう。馬鹿になるだろうけどねー。

溜島
・反省
 1日目に地蔵ノ頭への登りで地吹雪に遭い,雪山に恐怖を持ってしまった。
 体力不足で汗を大量にかいてしまい、体温管理が不十分だった。
 凍傷をしっかり理解していなかった。
 交通機関を細かい所までちゃんと調べるべきだった。
 朝がしっかり起きられなかった。
 ワカンをもっと早くつけられるよう練習しておくべきだった。
 記録をしっかりと書くようにする。
・感想
 痛い、寒い、つらい。
 埋没訓練は恐かった。
 弱音をはきすぎた。
 食堂がすごい良かった。
 いろいろな人に出会えて良かった。
 ゴンドラの切符売り場の人にはイライラさせられた。

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